どうしてもこれを書かずにはバケーションをすっきりとした気持ちで楽しめないと思ったのと、本当に何が今の時代に欠けているのかを考えてちゃんと自分の伝えたい事を書く事にしました。
フェイスブック上でかなり熱い議論が行われたのを改めてここで整理する事にします。これの発端は、ある方がビブラムを履いて1ヶ月も経たない間に踵の疲労骨折を起こし、同時に脹脛の肉離れをしてしまい、それがどんどん悪化してしまい、松葉杖をついて歩いていて、今は仕事にも行けず松葉杖も役に立たないぐらいになってしまったのです。彼は決してビブラム自体を責めているわけではなく、こうなる可能性もあると言う事をちゃんと色んな人に知らせるべきたという主張をされています。一つの例として、ビブラム買う人全員に講習会を強制的に受けさせる事。受けないと買わせないような制度をとるのも一つだとおっしゃっています。実はこういうコメントは公開、非公開(メールなど)関わらずよく自分が言われる内容です。 裸足ランも同じ様に勧める以上は責任を持てという事でしょう。 全てのリスクを(裸足もしくはベアフット系シューズのランニングを)やろうという人全員に伝わる様にして欲しい。怪我人を1人でも出さないようにして欲しい。と。
まず、皆さんに考えて欲しいのは、ビブラムや裸足自体が怪我を引き起こしているわけでは無い事。裸足系シューズに限らず色んなシューズがアメリカでは訴えられていますが、基本的には怪我をするのは走り方なのです。トレイルランをやっている人達の多くが何故裸足ランのコンセプトを受け入れる事が出来て、ロードの人達の多くが受け入れられないのか。例えば、トレイルを走っていて、岩につまずいて大けがしたとします。トレイルランナーは単純に”やってしまった。”って思うでしょう。岩を責める事はないと思います。ロードランナーが、道端に大きな石が落ちていて、それにひっかかったら、何でこんな所に石があるんだ!危ない! 誰がこんな物を置いたんだ!って責める人が多いからだと思います。(勿論全員ではありませんが)疲労骨折自体は、骨の強さも関係してきます。いくら踵着地だろうと母子球で着地しようと、衝撃で壊れる骨の再生速度が間に合わなければいずれ疲労骨折になります。勿論、走り方がひどければなりやすくなるのは間違いないです。因みに、疲労骨折自体はシューズを履いても起こる事はランニングをやっている人達はわかっていること。確かに裸足で走った方が、すぐに症状が出始めてしまう事も多いと思います。元々弱い足で、強い着地をしていたら、いつかは足が壊れるのですが、いつ出てくるかの問題だと思います。何度も言いますが、一般的なシューズでも疲労骨折は起こります。 じゃあ、一般的なシューズを作っているメーカーはこういったリスクを全て説明するのでしょうか? 実際に衝撃が裸足系シューズの方が少なくなり、膝の故障が減ったというデータは多く出て来ていますが、逆にいうと、普通のシューズを履いたら(結果的には走り方なのですが)膝を痛めるリスクが高い事をメーカーは説明するのでしょうか?もしくはそんな義務があるのでしょうか?(少なくともこれはかなり高い確率での事実です)もしくは、全ての起こりうる怪我に対するリスクの説明義務があるのでしょうか?
100歩譲って、ビブラムを履いた事がきっかけで疲労骨折したとします。 でも、それってそもそも走り方を変えてしまったり、足を弱くしてしまったシューズの方が責任が大きいのではないでしょうか? 責める所間違えていませんか? 裸足で走れないようにしてしまったシューズに問題がありませんか?(まあ、本当はそれを“選んだ”自分に責任があると思うのですが)
他の方法で説明します。
もし、科学的で“不自然”な事をトレーニングに取り入れたとします。ドーピングもその一つですが。こういう自然でない物を取り入れた時のリスクは実際どうなるかわからないし、ここで科学や研究は凄く役に立つのだと思います。自然でない事を無理矢理身体に負荷をかけてやらせるわけなので。なのでドーピングするんだったらドーピングを与える人はリスクをしっかりと知った上でリスクを説明してやってもらえばいいと思います。(極端な例ですいません)
でも、裸足やビブラムというのは元々本来の機能を使うという所が今までと全く違うのです。ハイテクでは無く、ローテクに向っているです!こんな事、今までは殆ど起こって来なかった事なんです。
更に説明を続けます。
呼吸するという行為に説明書がいりますか? もし呼吸を止めたら死ぬんですよ!って誰か説明しないといけないのですか? 人間本来が本能的にもっている機能にここまで説明しないといけないですか? 歩く、走るというのも人間が本来持っている機能じゃないんですか? 勿論病気とかしてしまった場合は人工呼吸器が必要な事もあります。でも健康な(人口の9割以上の)人は自分で呼吸が出来ます。勿論今までずっとクッションやアーチサポートに守られて来た足でいきなり10kmとか20kmとかを凄いペースで走ったら足を壊す可能性があるとは思いますが、全部説明がいるんでしょうか? そもそも皆育った環境が違うし、身体の使い方もバラバラになってしまっていて、世の中の全ての人に同じ説明書が必要なのでしょうか?っていうより、そもそも説明書が必要なのでしょうか? 自分の足の使い方!??
勿論これを書いたのが自分の本でもありますが、これって絶対必要なんですか? 色々知りたくて読んでくださっている方が大勢いますが、だからといって、こういう内容を強制して読ませるのですか? 読みたい人だけで良くないですか? それを読んだからって怪我がなくなるんですか? 全部の怪我を防ぐ方法があるのですか?
踵の疲労骨折については、本当に走り方の問題になってくると思うのですが、これってビブラムで起こりうる怪我ではなく、走ったら起こりうる怪我なのではないでしょうか? そしたらシューズ関係無く走る事で起こりうるリスクを全て説明してから走ってもらう必要があるんですか? どこまで説明する必要があるんですか? この方は1人だろうと100人だろうと自分みたいに怪我した人がいるんですという主張をされていますが、っていう事は1億人に1人でもなりうるリスクも含めて全部書く必要があるんでしょうか? そしたらもうこれはシューズ云々でもなく、裸足云々でもない。 では、これは誰が責任をもって書くのですか? 誰を責めるんですか? シューズメーカーを責めるのが簡単だからシューズメーカーを責めてるだけじゃないですか? (責めるターゲットがあるから)この方もはっきり自分の足が出来ていないから怪我をしたと書いているにも関わらず。 自分の責任を認めているならそれで終わりじゃないでしょうか? そしてまた、100歩譲って、走る事によるリスクを全部説明したら、(本当に全部説明したらもの凄い量になると思いますが)この人は全て読んでから行うと思いますか? 少なくとも私は絶対にそんなもの読みません。しかもこの方も、読もうと思えば探したら出て来るのに“自分の選択でそういうのを見ずに行ったわけですよね? いきなりやりすぎたとも書いてあります。そもそも全ての行動において全部マニュアルが必要になる世の中が来るんでしょうか。考えただけでも恐ろしい。
なんで裸足や裸足系シューズがここまで責められる必要があるのは全く理解が出来ません。自分達は常に自分達の考えの元で出来る事を出来る範囲でやってきているだけです。一昔前だったら、怪我したら完全自己責任だったはず。 でもいつからかアメリカの訴訟社会が日本にも少しづつ影響を及ぼすようになってきています。 自分が言いたいのは、本当にこんな世の中でいいのか? っていう事です。
裸足ランに関して、特に自分のイベント出ている人は分かってくれていますが、私は今まで1度も強制的に裸足にさせた事はありません。練習会でもシューズ履いていいですか?って聞かれたりしますが、そういう場合は必ず、“勿論です”と答えます。強制したら自分にも責任はあると思いますが、自分はあくまでそういう哲学を広めているだけです。 考え方なのです。 そしてこの考え方を変える事によって救われた人がどれだけいる事か。 勿論、全員がそれですんなり怪我無く走れる様になったわけではありません。 ただ少なくとも怪我をしたら自己責任という考え方は多くの方が分かってくれています。原因が自分自身にある事を理解してくれていると思います。だから怪我をしてしまったら、どうやって自分の身体を使えば怪我をしなくなるのかって考える様になります。シューズを変えればいいって思う人はかなり少ないと思います。勿論足がまだ強くないし、でも長い距離を走りたいっていう場合は普通のシューズを履いて走るでしょう。でもこれは全て本人が決めた事なのです。そういう理由で肉離れをイベント中に起こしてしまった人の殆どが自分の所にもう一度もどってきてチャレンジしてくれるのです。
そしてBORN TO RUNという本の素晴らしさがここにあるんです。こういった本来あるべき姿(または新しい考え方)を考えるきっかけを与えてくれているのです。これもまた哲学なんです。本自体が走り方を教えてくれて怪我が減った訳ではないのです。自分はたまたま同じ様な事をBORN TO RUNより先に気づいただけ。出版された時点ではそいう事に気づいている人が少なかったために自分が裸足ランの第一人者と呼ばれる様になりましたが、自分にとってはそんな事はどうでもいい事。ただ、そう呼ばれる事によって一人でも多くの人が自分の話を聞いてくれるのであればそれはそれで嬉しい、ただそれだけの事です。こういう理由でBORN TO RUNは本当に凄い本なのです。そしてこういう理由で自分がずっと地道に継続している活動が大切なのです。
自分はサンフランシスコで違う分野でこういう世の中を少しづつ変えて行こうとしている大親友の所で泊めてもらっていて色んな事について話あい、改めて強く行こうと思いました。 これは自分が持っている信念です。 因みにタイトル大袈裟に見えるかもしれませんが、実際に科学だけでは何もならない事が多いのです。現に研究のデータはメーカーによって大きく変わります。誰がお金を出すかによっても変わります。色んなデータが出て来て、混乱するって言われますが、何の為に自分の感覚を持っているんでしょうか?何の為に歴史があるのでしょうか? データは変わっても、歴史や身体の構造は変わらない。だから自分より経験のある人達にアドバイスを求めたりするんです。 自分の感覚も大切にしながら。裸足で走るという選択肢を選んだなら、周りに裸足で走っている人がいないか探してみればいいじゃないですか? 上手く走れている人の意見を聞けばいいじゃないですか? いい加減世の中が目を覚まして欲しい。自分で考えるようになってほしい。物のせいにしないで欲しい。今ではビブラムだけでなく、裸足自体を責める人が多くいますが、裸足は自分自身の身体の一部。そしたら責めているのは自分自身以外の何者でもないはず。
こうやって書くから、吉野さんがやっている事は宗教みたい、って言われます。でもそもそも宗教自体は悪くありません。考え方、哲学だから。 勿論それによって悪い事をしたら、それは犯罪だからまた別の話。宗教自体を否定する事もおかしな話だと思います。その人が何を信じようとその人が幸せならそれでいいんじゃないですか?
そして、裸足ランが宗教だとしたら、クッションが身体を守ってくれると信じているあなた達もクッション教ですよね? (どちらかと言えばクッション狂)実際にクッションが怪我から守ってくれるなんていうデータはどこにも存在しませんから。だからいつになっても怪我が減らないんです。ちゃんと走れないと、ちゃんと食べないと怪我は減らないんです。これは悪い意味で科学が証明してくれている事です。
そして、この“考え方”に対して批判したいなら、読まなければいいと思います。だって、これは自分の哲学だから。 全員が同じ様に考えるなんてあり得ないですからね。もしそれが出来たら自分は本当の教祖になれますね。w
みんな、事故と事件を取り違えているのではないでしょうか?もし自分がこの怪我をされた方を突き飛ばして、足をうって骨折させたらこれは傷害事件であり、事件です。悪いのは私になります。でも自分で怪我をした分にはこれは不意の事故。勿論この方には本当に気の毒だと思っています。仕事もできないぐら悪化してしまっているので。でもこればっかりはしょうがないとしかいいようがないです。早く回復して欲しいと本当に心から祈っております。そして元気になったら改めて少しづつやってもらえたらなと思います。本人の意思で。
でも、改めて大変な所に自分は足を踏み入れてしまったと思います。ただ、知ってしまった以上は、伝える義務があります。いずれにせよ、どの分野の人も怪我しない様にするために子供の裸足教育が大切という事は一致しています。頑張ろう!
最後に、結局の所、色んな人に裁判になったら負ける可能性高いよとも言われましたが、これは結局の所世の中の多くの人がどう考えているかが大きな影響を及ぼすと思います。こうやって裸足自体が自己責任で無くなってしまっている世の中になってしまっているんだったら、自分の出る幕は無くなります。でもそれはそれでしょうがない。時代には勝てません。でもギリギリの所まで頑張ります!手遅れになる前に、時代を引き戻したい。明らかに時代は自分の進んで欲しい方向と真逆に進んでいるのは言うまでもないですが。
そういう意味で、今のご時世よくメディア自体が責められるようになりましたが、これもメディアが悪い訳じゃない。振り回されている本人が悪いんじゃないでしょうか? メディアは少なくとも色んな情報を出してくれています。その情報が正しいかどうかは別として、知るキッカケを与えてくれています。その情報をどう使うかは本人の問題。まあ意図的に嘘ってわかっていてやった場合はそれはメディア側の問題もありますが。と思ってしまう今日この頃。。。
久々に熱く語ってしまいましたが、これでやっと本当にバケーションに入れます。これに賛同してくれる方はブログランキング参加しているので是非、下のマラソンというアイコンをクリックして応援してください!宜しくお願いします。ランキングが上がる事によってこの記事を見てくれる人が増えます。
初めまして。この度の記事を拝読しました。私も出版の仕事をしていて、多くのかたからわが社の書籍についてご意見を頂きます。そのなかでいつも心に引っ掛かるのは、自分の不運を書物のせいにする人が多いということです。
それに限らず、最近は、昔は当たり前だった「ここの感覚に頼る」という事をしない傾向にあると思います。食べ物を賞味期限が過ぎたからといって、臭いも味も確認せず廃棄したり、誰かがこう言ってたから、と言って、自分で試すことなくやり過ごしたり。
何でも何かのせいにして、自分の不運を人のせいにするのは、私は反対です。
応援してます。頑張ってください。
橋本さん
コメント有り難うございます。 心の感覚に頼る。その自分の持っている感覚的な所が麻痺させられてきているんですよねきっと。でも裸足ランはそこに気づくきっかけを持たせてくれる物だと思っています。世の中の殆どの事が逆の方向に行ってしまっていますが、なんとかこういう感覚を持っている人達がまだ大勢いるうちに引き戻せたらいいなと思っています。これからも応援宜しくお願いします!
論争に興じるのはチャーミングじゃない。
「裸足」的なら複雑で小難しくはあっても強面ではないと思うんです。
hogeさん
コメント有り難うございます。hogeさんがおっしゃりたい事を自分がこの文章で把握出来ているのかわかりませんが、この記事が論争と思っておられるのであるとしたら、これは論争ではなく主張です。世の中を引き戻したいという。もし意味を取り違えていたらすいません。
私も、裸足ランの話を友人にしたら、なんか宗教みたいだね…(^^;と言われた事がありました。
今回のブログを読ませて頂いて、哲学と言う言葉で納得!!
ですよね。やるやらないを決めるのは、すべて自分。
自己責任です。
facebookでコメントさせて頂きましたが、あんな風にしか書けませんでした(汗)
本当は、もっと違う事を書きたかった…。でもそれを書いてしまったら、多分 喧嘩になってしまうと思い、書けませんでした。
宗教と言われようと、私は吉野さんの意見…裸足ランを推奨します!!
今は、普段からビブラムを履いて仕事もしてます。
ある日、普通のシューズで仕事をしていたら、逆に足が疲れてしまいました(笑)
早く2足目が欲しいです~(゜∇^d)!!
佐山さん
有り難うございます。そう、自分も友達と話し合っているうちに、それは哲学だね!って言われてすっきりして、そこからは勝手に手が動いて赴くままに書いた感じです。で、宗教の話も結局のところ、どれだけ大勢の人がそう考えるかどうかなんですよね。クッションの話も本当に世の中の大半がクッションが怪我から守ってくれると思い込んでいるので、それこそ宗教なんですけどね。よっぽど裸足の方が理にかなってますよね。
ブビラムはいて仕事されているんですね! 是非裸足もビブラムも広げていってください!
はじめまして。
先日友人を通じてUTMFの応援を頂いた者です。
3年前に「BORN TO RUN」に出会い、ビブラムで走り始め、去年はSTY、信越五岳、今年は伊豆TJ、UTMFと全てビブラムで完走してます。
私は本格的な陸上競技やランニングの指導(もちろん裸足ランニングも)を一度も受けた事は無いですが、大きな怪我はしませんでした。
おそらく、「走る」事を楽しんでやっていたからだと思っております。
痛い時は走らない、楽しくリラックスして走る、小難しい事は考えずに脚と足・身体の声に耳を傾けて走る、レースも楽しむ、走るための食事をする・・・・・
などなど「BORN TO RUN」にあった事を少しづつやっていれば、走り始めて4年足らずのおっさん(53才になります)でもUTMFの161Kmっをビブラムで完走できますっ!
しかも膝も腰も痛めてませんよぉ~!
ビブラムに変える前のシューズで走っていた頃は30Kmで膝や足首を痛めて何日も休む事が多かったので、決して特別足腰が強いわけではないと思います、ビブラムと裸足にしてからは大きな故障をまったくしなくなりました。
科学とか理論とかはよく解りませんが、実際にビブラムで100マイル走って、翌週にはまた走っているおっさんがいるって事は事実です。
頑張ってくださいねぇ~!
高木さん
100マイル走って翌週にまた走っているっていうのは本当に凄い事ですよね。高木さんのようにビブラムや裸足を取り入れてから回復が早くなったという人も結構聞きます。また逆に、とにかく筋肉痛が酷くて少し走っただけでも次の日にまともに歩けなくなる人もいます。本当に色んな反応があるんだなって改めて思います。ただ、今回の件もそうなのですが、いずれにせよ、自分の身体と向き合うきっかけになってもらえばなと思っています。何故怪我をするのか。怪我をしてしまったら自分が信頼しているところで治療してもらう。これは医療関係の方の仕事だと思います。というわけでこれからも頑張ってください!応援しています!
吉野さん
こんばんは
初めてコメントさせていただきます。
私は45歳から走り始めて(最初は500mくらいしか走れませんでした。。)1年後に関節に違和感を覚え、このままじゃどう考えても故障まっしぐらと思い、ネットをさまよいフォアフットやミニマス、ベアフットと行き着いたものです。
今はサンダルを中心にアスファルトでの裸足を取り入れながら走っています。
足裏さえ持ってくれれば、裸足がベストと思っています。
本日35kmほどサンダルで走って、明日は裸足で走ろうと思っています。
ここまで来るのに毎回が試行錯誤の連続でした。
吉野さんのサイトにも当初情報を求めて行き着いていたのですが、考えや表現が自分の実情(スキル?)とかみあわず、具体的な体の使い方として理解できなかったのですが、数ヶ月前から改めて読み直し、良い効果が出てきています。
どの程度習得できているのかはわかりませんが、膝の抜きを強く意識し始めてから脹脛の筋肉痛(もしくは乳酸が溜まっての疲労)がホボなくなりました。
しかしながら本日のランニングではいつも生じない張りを太ももに覚えたのですが、その張りを狙ったストレッチにて解消し、夜に再び走ったときには上手く問題が解消されています。ストレッチもできるだけ筋肉や腱の構造も確認しながら行うようにしてから、具体的な効果が出てきています。
何が言いたいのかというと、本やネットの情報はその人に(筆者に)偏ったご経験やお考えに基づいているので、それはそれで正解ではあるものの、執筆表現も含みそのまま誰にでもビシッとはまるものではない、ということです。年齢や経験、体重や体系、そしてランニング歴や故障歴など、人それぞれです。そういった万人にピッタリある情報なんて無理だと思います。さらに言えば、日によって体調もまちまちでしょうし。
情報はあくまで参考にとどめ、自身での把握として置き換えることと、セルフ実験を繰り返し、自分にあわせてチューニングしていく、そういった考えが必要なんだと思います。
なので、吉野さんが書かれているように、情報は自由に参考として、それをどう取り込むのかは自己責任であるべきだと私も思います。
裸足での走り方がベストだと思っています。
引き続き頑張ってください!
6hrsさん
コメント有り難うございます。基本的な動きや身体の使い方的な事は本来はかなり近い物があるのですが、どういうアプローチをしたりとか、どういう説明をしてその感覚を身につけるかは人によって本当まちまちなんですよね。そして、自分での”微調整”ここが本当にキーワードになってくると思うし、そこがまた面白いんだと思います。 が、しかし、大多数の人は、ここが面倒くさいって思うんだと思います。自分で考えて出来ないってよく言われるんですよね。でもそうなってきたからこそ、敢えて自分で考えてもらえるようにしてもらいたいなと思います。 講習会開きながらも、そこは常に思っています。あくまで考えるきっかけになってもらえればって言っています。どうするかは自分で決めるただそれだけだと。
というわけで、引き続き宜しくお願いします! 因みに、そもそも武道の世界でもよく動きは習うのではなく盗むもの。だとか。考え方が凄く裸足にあっています。
足は運動器であるが、その前に感覚器である。
感覚を研澄ますと自ずと裸足にいきつく。
だから武道の世界は裸足なのですよね。
頭で考え走るのではなく、足で感じて走る。
感じて動く = 感動
この方向がつかめないと、とんでもないことになる。
simple is best.
ほしけんさん
本当にその通りですよね。運動器である前に感覚器であると。そしてその感覚が今は伝わって来なくなってきてしまいましたよね。感覚というのが段々現代人から遠のいてしまっていますよね。本当に裸足って色んな事に気づかさせてくれますよね。
感覚の話の続きです。
最近 読んだ本 「これならできる! 自然菜園 耕さず草を生やして共育ち」 竹内孝功 著 農文協 2012年 で 感動したことは 根について解説です。これまで地表からは見えない土の中を観察しています。作物の根がどう伸びるか を考慮して 株間を決めるだけでなく ライ麦などがその根が2mも地下に伸びることを利用して人間が機械を使って耕す以上の土を作っていく、その写真はびっくりです。根性とは まさにこのことだったのか、決して飛雄馬の世界の言葉ではなく農作業の基本なのだと感心。
そして、この根こそが動物における末梢神経 根=末梢神経 ととらえると根(末梢神経)が発達するほどその植物(人間ひいては脳)は元気である と。末梢神経(根)を育てず促成栽培されると、環境変化によわい作物(人間)になってしまう のではないか。自分はどんな土(環境)にいてどうやったら生き延びれるかを常に研ぎ澄ました根(神経)をもつことで、環境に文句を言うのでなくその環境を最大に利用して生き延びてゆく柔軟性・・・。一方、現代人は首から上、特に視覚と聴覚からの刺激にのみとらわれ、6hrsさんのいうセルフ実験がないがしろにされている・・・(ちなみに実りを験す:種をまいて実かどうか確かめることが実験)
もう一度裸になる必要がありまよね。
自分も食の事を色々調べたりしていましたが、本当に同じ事が言えますよね。でも全ての物が弱くなった方が色々な物が売れる。この仕組みを変えない限りは。。。。 資本主義自体が悪い訳ではないのですが、それが悪用されていて残念です。色んな分野のこういう事に気づいている人達は恐らく世の中の大きな壁にぶつかりながら少しづつやれる事をやってくれていると思います。自然の力! この前、世界が食べれなくなるというドキュメンタリー映画の上映会に行きましたが、自然のエネルギーを上手く利用した場合のコスト削減の金額、もの凄い金額になっていました。 本当に考えさせられます。
映画の話です。
先日 『天のしずく』という映画を観ました。天のしずくが土に落ち、作物が育ち、人がその恵みを感謝していただく話。命のスープの辰巳芳子さんが主人公ですが、気になってその母、浜子さんの本を読みました。すると浜子さんはお米以外は自分で作っていたのです。だから季節季節に分けて手塩にかけた料理がその著書に紹介されています。なんと贅沢なことでしょうか。一方私たちは季節をなくしてハウス内で露地ものの4倍の石油エネルギーを投入して胡瓜をつくり(*) 、ビタミン不足を薬剤で補う・・・・。
天の恵みを感じる感覚も大切ですね。
ちなみに宣伝です。
来たる10月6日友人が飯山市で 天のしずく 上映会を開催予定です。乞うご期待!
* http://www.jccca.org/chart/chart05_05.html
ほしけんさん
素晴らしい話ですよね。食は本当に大切な事。 消費者が変わっていかねばです。 最近は色々と食に関する映画も出て来ましたね。 いい事だと思います。宜しくお願いします。
私は90キロ近いおデブちゃんランナーですが、ワラーチの薄いソールで
一年くらい走っていますが、問題ないですよ。
要は自分の体と相談しないで、走っているからだと思いますよ。
逆切れみたいなもんですよ。
吉野さん、これからもがんばってくださいね。
バハラナさん
コメント有難うございます。体重も当然身体に負荷がかかる要素の一つではあるかもしれませんが、身体がしっかりしていて、走りが良くなってくれば大丈夫ですよね。これからも頑張って下さい!