世界トップクラスの陸上選手や日本の実業団選手、また一秒でも速くなりたいと思っている一般ランナーと話す機会が増えて来ている今日この頃。裸足で走る事は大切だと思っている選手であっても、絶対にシューズを履いた方が速いとよく言われます。
(この場合のシューズとはレース用の薄くて軽くて反発性も高いシューズの事をさしています。)
まず、全ての選手に言いたいのは、そもそもの陸上競技としてのルール。
“シューズは競技者に不正な付加的助力を与えるものであってはならない。”
要はシューズってそもそもランナーを速く走らせるものであってはならないって事です。“自分の力で走れ!” っていう大前提の元にルールが作られているっていう事を忘れないで欲しいです。本来であればお金が殆どかからな競技ですから。日本はそんなシンプルな競技ですらこれだけのビッグビジネスに成長させたのは凄いと思いますが。
また、その物に頼って速くなりたいという発想が、大きなお金が絡んだ時にドラッグに手を出してという発想に繋がり易いんだと思います。言ってみれば、陽性反応が出なければオッケーなわけで。 ケニアでも問題になっていますが。
と、言った所で何も始まらないので、実際のところどうなのか。
アディダスのTAKUMI BOOSTが分かり易いと思って書いておきます。宣伝も兼ねて?w
“アディダスの誇る最新技術で作られたブーストフォームは、まるでバネのような新感覚クッションとも呼ばれており、ランナーを前へ前へと押し進めます。そしてその圧倒的な弾力は長期間使用し続けても劣化しにくく、温度変化による硬度変化が起きづらいため、季節を問わず変わらないはき心地で走れるランニングシューズとなっています。”
ようはシューズが勝手にランナーを前に押し出してくれるんです。そりゃ速く走れそうですよね。
で、10kmの記録会で裸足ランニングクラブメンバーがそういう反発性の強いレース用シューズと裸足での記録を比べたらなんとシューズを履いた方が10分以上速かったんです。なので、このタクミブーストの宣伝は多くの選手にとっては実際に正確な表現を使っているので、誇大広告でもなんでもないんだと思います。
さて、これ自分が履いたら本当にこれだけの差が出るのでしょうか? もしくは裸足のアベベが生きていて走っていたらどうなるのでしょうか?
走るのを極めるのであれば、そういった走る技術も含めて洗練させていって欲しいな、と思います。裸足とこういったシューズを履いた時の差が時代と伴に大きくなってきています。それだけ補助機能無しでは走れなくなっているという事。日本のトップクラスの選手を裸足で走らせる事が出来たらはっきりと分かります。裸足で走るとボロが出るんです。そのボロを補ってくれるのがシューズです。そういうった事を理解した上でシューズを履いて欲しいなって思います。
裸足のアベベ。覚えていますか?シューズが壊れたから裸足で走ったっていう。今の日本の選手がシューズが壊れたからって裸足で走ったらどうなるか。。。
それではブログランキングに参加していますので応援宜しくお願いします。下のマラソンアイコンをワンクリックお願いします。
シューズなんて所詮道具なんだから使いたい人は好きなように使えばいいんじゃないですかね?
自分はこう思うってだけなんで、そんなのどう思おうと自由じゃないんですかね?笑
なんか変、
あたかもブーストのせいで10分速くなったみたいに書いてるけど普通のランシューでも似たようなタイムになると思うよ。
えええ、そんなつもりで書いたわけではないんです。レース用のシューズであればっていう意味で、あくまでタクミブーストの表現がわかりやすいかと思い使っただけなので。。。
すみません。今更なんですが、吉野さんってシューズ否定派なんでしょうか。
私は裸足で走るのも好きなんですが、シューズも単純に好きなので、どちらも否定しないし、肯定もしないのです。
シューズに慣れてしまったら、カラダの感覚を呼び戻すために裸足でトラック走ったりとか。
本当の意味で走りの精度が高まれば、どんなシューズを履いていても、裸足でも、
走りが変わる事はないと実感しています。
今、そんな事を追求しながら、日々走っています。
ケニアの選手がシューズに拘るのは、単に憧れなのかなー、って思うのですが。
否定派とか、肯定派とかいうカテゴリーの問題ではないと思っています。一般の選手であればまさにTaiさんのおっしゃる通りでいいと思っています。ただ、世界トップクラスの選手でさえ同じような発想になってしまっているのは残念だなって思います。
で、ケニアの選手がシューズにこだわるのは単に憧れなのかと思うのはTaiさんがケニア選手の現状を知らないだけのような気がします。自分もケニアに行ってなかったらそう思っていたのたと思います。 ケニアの選手もクッションがないと膝が痛くなるとか、足裏が痛いからとか言う選手が多数います。勿論プロのランナーです。裸足で15歳ぐらいまで走っていた選手が殆どなのでびっくりしました。
日本のトップクラスの選手を裸足で走らせる事が出来たらはっきりと分かります。裸足で走るとボロが出るんです。そのボロを補ってくれるのがシューズです。
これ凄いですね。イチローもグローブ無しでキャッチしたらボロが出るんですか。シューズはルールで認められた道具です。ルール上公平な道具を使っている人に使わないと下手になるってところをもう少し詳しく説明して欲しいです。
イチローはそういう意味で日々鍛錬しているんだと思います。常に動きを磨いていると思います。なのでイチローは手でキャッチしても普通にできるような気がします。あくまでも想像ですが。でもケニア人が裸足で走れなくなってきているっていうのもあるのでそれは本人に聞いてみてください。そしてその説明に近いことを今から書くつもりです。
“シューズは競技者に不正な付加的助力を与えるものであってはならない。”
「不正な」というのがポイントだと思います。
『シューズってそもそもランナーを速く走らせるものであってはならないって事』という解釈はちょっと強引です。
シューズを履いた方が速いのは何ら不思議ではないし、シューズを履いた方が速い事に特に問題もないと思います。
現在発売されているレースシューズが「不正な付加的助力を与えるもの」なのであればそのシューズは当然使用できないはずです。
勿論合法であればオッケーなのがスポーツです。ただ、走るというとてもシンプルなスポーツで、ましてや裸足でも世界記録で走れる人がいるわけなので、そもそもそこが話題に中心になることに違和感を感じています。そして、付加的助力をみんな期待してシューズを履くわけですが、まずは自分ができることをやった上で、必要な物を身に着ければいいと思います。
ルールに則って使える道具の性能を引出し競技レベルあげることは当然だと思います。
一昔前に競泳でレーザーレーサーという水着が世界を席巻したことがありました(その後禁止)。
レーザーレーサーはその浮力から特殊な泳法が必要とされていたと言われています。
北島選手は葛藤の末スポンサー外のこの水着を着てオリンピックでゴールドメダルを取ったのはご存じの通りですが、ルール違反ではないけれどそれは残念、通常の水着で勝負してほしかったと仰るのでしょうか?
さらに、物に頼る=道具を使う競技全般、すなわちほとんどすべての競技がドーピングを助長しているということでしょうか?
サプリメントの摂取もドーピングを助長ということでしょうか?
文字通り裸一貫の勝負だった古代オリンピックは勝者への賞金と名誉の大きさから、その末期は不正にまみれていたとされており、道具云々は全くの的外れと思います。
自分も練習にベアフットを採り入れており、その効果はわかりますが、他を貶めるような極端なベアフット賞賛には賛同しかねます。
出来ることをやった上で必要な物を身に着けてほしいし、アベベやゾラバドの様な選手が再び出てきてほしいと思っています。単純にすごいなって思いますから。シューズがないと実際に遅くなる人がこれだけ多い中、何も身に着けずに世界のトップクラスで走る姿は純粋に感動します。
誰が裸足ランニングをどうとらえるかは自由ですし、どう考えるかも自由なんですよね?
なので、そもそも賛同するとか、しないとか、そもそもそこがナンセンスな気がします。
裸足のもつ生身の感覚と,衣服(靴のもつ快適さ。もし衣服の発明がなければ人類はおそらくサバンナから世界に広がることはなかったでしょう。文明のデバイスは人類の活動範囲を開拓したことは事実で、靴を履くことで雪の中でも快適に歩行できます。速く走ることが目的ならバネの性能を応用した靴に軍配が上がると思います。吉野さんの主張は、道具に頼る前に自分の能力(感性)を高めることが重要だ、と読めます。イチローも選球眼を父親とバッティングセンターで鍛えました。で、バットはほんのすこしグリップの幅が違うことを感じてMIZUNOにクレームをつけたそうです。すなわちTAKUMIをはいて、ここが自分には合わないといえる感性をつけることが、まずは大切ではないか?ということではないでしょうか。
そうですよね。人間が踏み入れる事が出来なかったところを踏み入れるようになる。
ここで考えて欲しいのは、人間が出来ない部分を補う物を作る事ができた事。
飛行機は人間では絶対出せないスピードで空を飛びますから。でもここ30年ぐらいは人間が出来る事をいかにも出来ないように思わせているし、実際にそう思っているのが残念です。
物の使い方…
方向性が。一体どこまで行くんだろうって。
元来備え持っているものを鍛え上げたうえで、規則内の技術を活用して弱い部分を補強なり記録アップ狙ったりが本来の考え方の順番だと思う
規定の範囲内の技術での記録向上はまぁええとして、本来補助輪であるべきものが鼻から必須だと思い込んだ状態で取り組むとポテンシャルを無駄にする可能性はある
本当はやって出来ることでも、いやいやこんなデータがあって私の言う通りこうした方がいいよっていうのはどんな世界でも遭遇する罠か
この記事はどこを問題とするのかわかりづらいから混乱する
記録差で言うなら機能制限をしっかりしないメーカーや陸上界に問うべきだし、より走れる靴を一般入手可能な公平ルールと受け入れた上で選手の道具に対する意識を問うならそこで記録差は問題にならないと思うが
まぁ人間のポテンシャルを引き出して速く走れている選手はいくらより走れる靴を履いたからって10分以上も記録大差が出るのは考えにくいってことなのか
伝え方なんて千差万別で捉え方もそうですが、一言で言えば走るというシンプルなスポーツぐらいは速く走るのは自分だという認識でいて欲しいって事ですかね。人間が本来持っているポテンシャルは多くの人が思っている以上に高いと思っています。
ああ、でも10Kmで10分はひどいな…
まあでも路面の粗さにもよるんですけどね。