このアメリカンフットボール対ラグビーの話は裸足で走るかシューズで走るかとも大きくかかわりがありますので、是非読んでってください。ジェイソンの面白い話が書かれています。
あらゆるスポーツの中でブッチギリで怪我が多いスポーツと言われるアメリカンフットボール。実際にどれぐらい怪我の発生率なのかを保険会社が出してくれていました。そのデータがこちら。要は保険を適用するぐらいの怪我がどれぐらい発生したのかという。
アメフト 9.51
ラグビー 2.78
参考までに剣道は 0.49
アメフトは防具を付けているために、ヒットが激しくなっている。本来であれば防具をつけていないラグビーの方が怪我の発生率が高いはずなのに、何故ここまでラグビーの方が少ないのか? ラグビーはボールを持っている人だけタックルされることが許されていて、アメフトは持っていない人も不意をつかれてタックルされるというのが理由の一つみたいですが、ネット上で書かれていたのが
‟アメフトのヒットを見ればわかると思いますが、基本的に「手加減」というものを知りません。全速力で走って行って相手にぶちかましを喰らわせます。ラグビーの場合は、防具をつけていないこともあり、プレイヤーにも多少手加減をしている感じがあります。「激しくヒット」するというより「確実に倒す」という感じ。”
ここにジェイソンの言っている事が関連してきます。
そう、当たり方が違う。ただ、この‟手加減”という表現はあくまで外から見た感じであって、実際にラグビーの選手が手加減しているわけではないと思います。実際にジェイソンがアメフトの選手に練習で60人連続で体当たりされた時に、それを見事に全部かわしたのを目の当たりにしましたが、どこにどうやってぶつかって来たかを素早く察知して、そのぶつかって来た力を上手くコントロールして相手をコロッと放り投げる。 ジェイソンよりも遥かに大きい選手もいっぱいいるし、ジェイソンはこういう競技をやった経験は全くないにも関わらずです。 息も止めるのではなく、ぶつかられた瞬間にスーッと息を吐きながら。。。
ジェイソンが言っていたのは、アメフトの選手は防具に守られているので、それに頼りきったぶつかり方になる。また身体のどの部分に当たっているかを正確に把握しずらいため、当たり方が雑になる。そして、動きとしてはあまりにもシンプルで、ただ力任せにぶつかっていく。だからこそ、ジェイソンとしてはこういった選手は動きが分かりやすいので倒すのは簡単って。動きがあまりにも単純だから。ただ、お互いに同じような当たり方であれば、当然大きな選手で力のある選手が圧倒的に有利にはなりますよね。
これシューズのクッションと似ているの分かりますか? 衝撃吸収はクッションにまかせっきり。着地はドタバタ。結果怪我をする。 実際に身体にかかる衝撃は多くなることが多い。裸足で走ると、衝撃が直接伝わってくるため、その力を上手くコントロールして推進力に変えていくという作業をやっていきます。どうやってうまく身体を使うか。身体のコントロール能力を磨いていく。 力の入れ方ではなく抜き方が重要というのがラグビーと裸足ランニングの共通点ではないでしょうか?
でもそんなラグビーにも、このクッションのシューズで大きな問題が起きているのです。スポンサーの関係で名前は出せませんが、強豪中の強豪の全日本トップクラスのラグビーチームに行った時の話。裸足の重要性を話してきたのですが、そしたらトレーナーの人が物凄く納得してくれて、最近のラグビー選手は身体が大く筋肉が発達している割には足がとっても貧祖で、この貧祖な足が重い体を支えきれず足の手術をすることが凄く多くなってきたって言っていました。だから裸足でのトレーニングは本当に重要である事を理解してもらい、特に怪我をした選手には積極的に取り入れてもらっています。裸足は禁止という事でビブラムを履いているのですが、スポンサーの関係で。。。
スポンサーって。。。スポンサーって本当は応援する、もしくはサポートするっていう意味なんですよね? いつの間にか、選手をお金や物で縛るという形に変わってきていますよね。
やっぱり身体の使い方を学ぶには出来るだけ何も身に着けずにやるべきですね。今日は完全分野外の話なので正確に伝えれていないかもだし、間違っていることも多いかもですが、考えるきっかけになったらと思います。
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人間(二足歩行の動物)が地球上で上手に釣り合いを取り続けるには全身の「骨格の位置関係」→「筋活動」→「精神状態」はどうあるべきか?
そして、それを得るためには足元はどうあるべきか?
裸足ランニングといえば足裏の着地部位や膝の曲げ具合などが話題になりがちですが、私が裸足で歩いて来て気づいたことを…。
小さな砂粒が最近の私の先生なのです。
裸足で走・歩行すると僅か1mm前後の砂粒であっても足裏が「痛み」や「違和感」を感知します。
僅か1mm前後の砂粒による痛みや違和感であってもその影響は足元から全身に拡がり「骨格の位置関係」→「筋活動」→「精神状態」を大きく乱そうとします。
これに対し身体は無意識に(適切又は不適切な)代償動作を「全身」に発生させて釣り合いを取り続けようとします。
不適切な代償動作が続いていると身体は悲鳴を上げますが、知らない間に少しづつ釣り合いが崩れていくので自覚し辛く、気づいた時には大変なことになっています。
ビブラムであってもワラーチであっても靴下であっても着靴(足の裏に目隠しをしたり、縛り付けたり、圧迫してしまう様な行為)してしまえば「痛み」や「違和感」という自分の身体が発する声に耳を傾けることすらできなかったり、著しくその感度が落ちたり、歪められて伝わったりします。
より多く裸足で活動すれば、これらの「声」に耳を傾け続けることが出来ます。
私はある時この小さな砂粒先生に気づきました。
いや、ずっと以前からその存在には気づいていましたが、以前はただの「少し痛い」だけの存在であり、私はそれを無視(我慢)していたのです「こんなモノなんだろう」と。
しかし、いつまでもその小さい痛み無視することは出来ませんでした、より長時間裸足で歩いてやろうと頑張ると小さい痛みは徐々に蓄積し我慢出来ない大きな痛みへと成長して行ったのです。
これではいつまでもこの「声」を聞かないわけにはいきません、痛みから逃げることにしました。
私はこの小さな砂粒先生に気づいたことによって今まで無意識に上半身を緊張させながら行っていた柔らかい着地(変な表現ですよね…でもこれしか出来なかったのです。)から開放され、着地の瞬間と上半身の乗り込みの瞬間を緊張なく合わせられる様になりました。
私は公園(舗装路、芝、砂利の周回路)を1~2時間程度歩くのですが、最近は意識的に裸足←→着靴を交互に行い「骨格の位置関係」→「筋活動」→「精神状態」にどのような「質」の違いが発生するかを比較しながら歩いたりしています。
なんか、どっかの本で読んだ様な内容になってしまった感がありますが… スポンサーも大事ですが、真の裸足じゃないと絶対に分からない領域の方が重要な気が私はします。
ビブラムがスポンサーだから裸足が禁止ということですか?
長々とスミマセン。
裸足が禁止なんてどこにも書いていませんよ? 何か勘違いされていませんか? 今回の記事はあくまでラグビーのトレーナーの方が、流石に裸足は無理なので!っていう話だったので、ビブラムを勧めただけです。”せめて”ビブラムぐらいで身体を動かせるようにはなって欲しいと思います。裸足にこしたことはありませんが、少なくとも衝撃吸収という意味ではクッションがないという事でのメリットもあります。 ケンボブがまさにwalkerさんと同じような感じで伝えていますが、皆それぞれのスタンスで広めればいいのではないでしょうか? 基本的な考えは同じですが、広め方が違うだけだと思います。 裸足じゃないと分からない領域があるのは勿論その通りだと思いますよ。自分はそんなにスポンサーに振り回されたりはしませんから。
スミマセン…。変な訪ね方になってしまって。
Yoshiさんの仰る通りです。自分が読んだ時に勘違いしていた様です。
実際に私自身も怪我を恐れて履物を履きますし、絶対に裸足でないとダメだとは思っていません。
ただ、小さな砂粒のお陰で私の歩行動作の質は余りにも飛躍的前進を遂げたものですから(所謂Breakthroughというやつですね)。
裸足と裸足感覚で新たな発見と感動の毎日を送れます。
大丈夫です。 ケンボブの本にも色々書いてありますよ。多分walkerさんが求めているような事を。
感じる事 それを無視して暴走する脳 われわれ現代文明の抱える問題の根源のように思っています。
本当に問題ですよね。全てデータで理解しようとする。。。。 感覚が失われてきていますね。
全データを理解しようとする、その背景にはテストの100点満点があるのかもしれません。多い事が正しいとの発想には引き算の世界は無いように思います。
本当にその通りですね。難しい。。。。