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BORN TO RUN 10年後の今 その3 いよいよ日本での活動がスタート!

BORN TO RUN 10年後の今 その3 いよいよ日本での活動がスタート!

さて、意外と評判の良かった?今だから書ける裏側の世界、MY BORN TO RUN シリーズ。 今日こそ終わらせます!って思っていたのですが。。。パート3では無名だった自分が何故裸足ランニングの第一人者といきなりよばれるようになったのかのかがわかります。はい、全てタイミング!?w

パート2では、永住権ビザ申請で騙され、ビザが降りず日本に残らざるを得ない状況に陥ったというところまで書きました。というわけでパート3です。いよいよ日本での活動がスタートします!

いざ独立を決意したものの、生活もしなければ行けないので金銭面でどうしたものか悩んでいました。裸足ランだけで食っていくって。。。世界の裸足ラン第一人者と言われるケンボブでさえ、普通のサラリーマン(大学職員)をしながら週末とか時間が空いている時に少しだけ普及活動をしている感じ。また、コンセプトが近いという意味ではCHIランニングやPOSE METHODなどの走り方メソッドで生活している人もいますが、参加費は確か一人当時は6-8万円ぐらいで、自分はとてもじゃないがそんな感じでやるつもりはなく。。。出来るだけ多くの人に知ってもらうのが目的なので。

そんなわけで、まずはフルタイムで派遣で働いていたのですが、思い切って店長に週に3日だけにしてくれという無茶なお願いをしました。自分には裸足ランニングを広めるための使命があるんです!って。 ビザを申請している間は裸足ランへの熱い思いを断ちきっていたのですが、再びスイッチオン!週に3日働けば月に10万円以上はもらえるから、後はランニングで少しでも収入が入ってくれば生活は余裕で出来るって思い店長に相談。実はその当時、日本で一番大きい直営店で働いていたのですが、そのショップでナンバー1を5ヶ月連続っていう偉業を達成していたので、店長も残ってくれるなら3日でも残って欲しいって言われ、許可が降りました。勿論そんな働き方するのは自分が最初で最後だと思います。 それぐらい例外措置をしてもらったんです。しかも頑張れよって応援してくれていました。

さて、いよいよ大きな海に飛び込むような感じで一歩を踏み出します。でも何をどうしたらいいのやら???まずはホームページ作るっていうのもありましたが、そんな知識も無く。。。でもどうせやるなら中途半端はいやだし、自分のやろうとしている事は世の中を大きく変える事だから、どうせなら大きく出ようと思い、市のスポーツ課や教育関係、また陸上競技場などに話を持っていきました。駄目元で行ったんですが意外と皆、話は聞いてくれたんです! でも。。。 ‟君、とてもいいことしようとしてるね! でもね、残念だけど、今は君の事誰も知らないし、やったとしても誰も来ないと思うよ。肩書も中途半端だしねぇ。アメリカでやればまだましな気もしますが。” 的な。。。現実を突きつけられた感じ。でもんじゃどうすりゃいいんだ!!!っていう心の叫びを実際に声に出して担当者の人達にぶつけてみました。 そしたら、‟まずはどこにでもいいからジムやランニングに所属してアシスタントコーチから地道に実績を積むしかないんじゃない?” って。 まあ、これも本当に的をついた的確な、でも一般的なアドバイス。 でもそんな事やっている間にどんどん手遅れになってしまう! 少しでも早くランナーにこの真実を伝えたい! そんな地道になんてやってられないし、ましてや裸足で走る知識がついてしまっている自分にとって一般的なコーチの下について色々支持されるなんて無理! そもそも自分がやりたいのは普及活動。コーチングを学びたいわけではない。そもそも考え方も合わないだろうし。。。

そんなわけで、今度はネットで色々何かコーチング以外のランニング関係で出来る仕事がないか探してたんです。 そこで引っかかったのが、ランニングのイベント運営会社のTOP GEAR。ここの求人に書かれていたのは、‟何かランニングで新しいイベントや企画をやってみたい人募集!やる気があればオッケー” 的な。w ビビッと来ましたね。ここなら自分の話、面白いって思ってくれるはず!って。 そうやって出会ったのが自分にとってはランニング業界で出会う事になった初めての人である白方コーチです。 一発で決まりました! 面白いって!

でもいきなり裸足ランニングってやっても無理があるので、自分でランニングクラブを立ち上げ、そこの人達に少しづつ裸足のトレーニングを取り入れてもらうという。ホームページや集客は全てトップギアにお任せ。自分はアイディアと実際にそれをやるだけ。そうやって立ち上がったのがSaitama Runnning Club。その当時埼玉にはあまり大きなランニングクラブが無かったこともあり、あっという間に人が増え、気付いたら50人ぐらいになっていました。ただ、会員の人達にとってみれば自分はただの経験の浅いランニングコーチ。というかコーチの卵?的な存在。一般的なランニングクラブなので、まずは普通にトレーニングをしていました。いわゆるインターバルトレーニング、ペース走、LSD、プライオメトリックトレーニングと一般的なトレーニングをやっていました。参加者は普段皆一人で黙々と走っていただけだったので、こういった陸上的なトレーニングをした事がある人は殆どいなかったので、でほぼ全員凄い勢いで速くなっていきました。そんな中、自分が裸足で走る事によって、自然と興味持ってもらえたらなぁという淡い期待。しかし、そんな期待は大きく外れ、コーチは裸足で変わった人! そんな感じ。興味を持ったのは当初は50人中一人。やっぱり強制的に裸足を取り入れていくしかない! そう思い少しづつ裸足のトレーニングを取り入れました。まあ今思えばちゃんと何故裸足で走るのかの説明もせずにやっていたので、皆めっちゃ脱がされている感が。。。あまり深い事は説明せずにやっていました。 今もそうですが、裸足になることがきっかけで特に詳しい説明をしなくても走りが良くなる人も2-3人はいましたね。まあ、コーチが言うからしょうがない。そんな雰囲気だったと思います。そして、またこのクラブも50人ぐらいになった時点で急にふえなくなりました。皆本当に仲が良かったので、途中からは新しい人が入りにくい雰囲気になっていたなぁと。そんなわけで裸足ランニングは定着する様子もなく。。。まあ、皆とにかく速くなりたくて来ているので当たり前って言えば当たり前なんですけどね。

そうこうしているうちに、携帯ショップで一緒に働いていたT君が独立するから一緒にビジネスやらない?って誘われました。なんとも絶妙なタイミング!!!そのビジネスはiPhoneケースのネット販売。海外から1個2-3万円する高級iphoneケース!!!当時は本当に珍しかった木製のケース。確かこれが2010年2月。完全にビジネスの事しか考えていない、ある意味超純粋なビジネスマンTと、全く真逆で感覚派な自分がコンビを組んで自分は副社長?的な感じで。まあそれにしても言い合いばっかりしてましたね。あまりにも考えが合わず。最終的には一回り下の彼が代表なので自分が引くしかありませんでしたが。w そうやって携帯ショップは辞めて、マイペースで働ける環境が整ったのです。因みにこの会社iphoneブームに乗っかり、どんどん大きくなっています。最初は二人合わせた資本金100万円だったのが今は1億円に!あ、自分は今はもう何も絡んでませんが。。。当初はまだそこまで売り上げは無かったのですが、でも自分たちの生活はなんとか出来る状態に!しかもネット販売なのでかなり自由に動けるようになりました。

そうやってネットでの仕事をすることになったので自由に動けるようになったことと、裸足ランニングはやっぱり最初っから興味ある人達を集めてくるしかないって思ったので、裸足ランニングだけのイベントや講習会色んな所でやっていくしかないと思いました。そう決めた2010年2月。何があったかわかりますよね??? そう、BORN TO RUNの日本語訳が出版されたんです!自分は元々裸足ランニングやっていたのと、BORN TO RUNの話はある程度のアメリカに住んでいる人達から聞いていたので自分にとっては目新しいことも無いんだろうなぁと思いながら英語版は読んでいませんでしたし、日本語版が出たことすら知らなかったのですが、この本を出したNHK出版からいきなりこの本が送られてきたんです。是非読んでくださいと。 ちょっとびっくりしました。なんで自分の事を知っているんだろうって。この当時はほっとんど何も裸足に関してはやってない状態でしたからね。でもせっかく送られて来たので読んだんです。 そして、やばい、これは日本にも裸足ランがやってくる!!!って思いましたね。w 本に自分が体験してきたことと近い事が乗っている。 今だ!!今やるしかない!!

元々裸足ランは単独でやるべきだと思ったタイミングでのことだったので、もう迷いはありませんでした。2月だと寒いので暖かくなり始めた2010年4月、いよいよ裸足ランニングの講習会がスタートです。こうやって日本で初となる公の裸足ランニングだけのイベント、その名も裸足 DE RUN! (裸足ランニング初心講習会)の第1回が開催されたのでした。記念すべきデビュー戦!

勿論この時点では自分の知名度はほぼ0。でもきっとBORN TO RUN読んで裸足で走ろうって思った人達が、走り方までは本に殆ど書いていないから色々と困って裸足での走り方を調べ始めるはず!しかも日本で裸足ランを教えている人はいない! アメリカで研究もしてきたし、ケンボブと色々話していたり、アメリカでの裸足ランナーとの交流も結構あったし、自分の中で色々と試行錯誤しながら7年裸足で走り続けていたので色々と知識もついて来ていたので迷いはありませんでしたね。(今思えば、この当時の知識はまだまだ浅かったですけどね。今もまだまだですしね。w)

まあ、1回目は人は殆ど来ないかもだけど徐々に人は口コミで増えるはず。そう信じて勢いでやった第1回。トップギアのイベントとしてやってもらいました。白方コーチに感謝ですね!自分は認知度ありませんでしたが、トップギア自体に認知度があったおかげで、なんといきなり30名以上が参加してくれたんです。しかも参加者の半分はメディア関係者という。イベント終了後は名刺交換の嵐。メディア関係者以外の人達も、いわゆる身体の使い方を教えていたりするプロの人達。でもちょっと焦りましたね。だって、自分はただの言ってみりゃぁ一般人。なんか扱われ方が。異常に持ち上げられた感じ。。。 裸足への思いは誰よりも強いけど。。。戸惑いを隠せませんでしたね。

因みにメディア関係の方は取材に来たというよりは、情報収集という感じ。なのでその場で取材は殆ど行われず、色々と話をしただけで終わりました。そもそもメディアの人達が来るとは思っていなかったのと、この翌日からニュージーランド旅行を入れていたので、イベント終了後はざざーっと名刺交換などを行い、速攻で旅立つ準備して飛び立ちました。そして自分はニュージーランドで呑気に大自然を満喫していて、その間に殺到していたメールはそっちのけで楽しんでいました。そして帰って来たらビックリ。 そう、取材依頼がいっぱい入っていたんです。と言っても5社ぐ10社ぐらいだろうか。そんなわけでここから日本での本格的な裸足ラン人生が始まったのです。そんなわけで、広めるには最高のタイミングで始まったのです。まさに日本のBORN TO RUNスタートです。今まで追い風も向かい風も無い無風状態から、いきなり強い追い風が吹き始めました。もうこうなったらとことんやるしかありません! 人生には大きなチャンスが3度来ると言われますが、何をしたいか分からず自分探しの旅でオーストラリアに飛び出したのが1度目、ウォールストリートジャーナルの表紙に載ったのが2度目なら、これはもう3度目が来てしまった?って思うぐらいの大きなチャンスが舞い降りてきたのです。

こうやって自分は裸足ランニングの第一人者と呼ばれるようになったのです。色々と偶然が重なりタイミングが良かっただけ???w でもその事によって少しづつ広まり始めたんです。

そんなわけで、やっぱりパート3では終わりませんでしたね。w 一旦このシリーズお休みします。旅行に行ったときにでものんびり書きますね。あー、やっぱり自己満記事?

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全てのランナーに裸足ランニングをトレーニングの一部としてでも取り入れてもらい、効率良く怪我をしない走りを身につけてもらいたい。ただそれだけです。

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